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 知床白書    Shiretoko White Paper

V 知床世界自然遺産地域の管理の実行状況

1. 管理計画目標の実行状況

3. 平成23年度の知床世界自然遺産地域科学委員会の活動

4. ハード事業及びソフト事業の実施状況

5. 管理の実行状況の総合評価

5. 管理の実行状況の総合評価

平成17年(2005年)の世界自然遺産登録から7年が経過し、知床世界自然遺産地域管理計画を中心に、同計画の各種下位計画やその他の関連計画も次第に整備が進められてきた。特に、平成23年度(2011年)においては、新たに「知床半島ヒグマ保護管理方針(案)」、及び、「知床エコツーリズム戦略(案)」がとりまとめられたことは大きな前進であった(共に平成24年度に成案)。

前者は知床の保護と利用をめぐって最大の課題の一つであったにも関わらず、従来、大部分を地元斜里町・羅臼町のさまざまな対策の試行錯誤に任せきりであったヒグマの保護管理と安全対策について、関係機関が結集して公的な方針を定めたという点で大きな前進であった。また、知床世界自然遺産地域内外を大きく移動するヒグマの特性を考慮して、遺産地域外の半島基部まで包括的に取り扱う計画になったことは高く評価される。今後の課題は、管理方針を具体的に動かすアクションプランの策定とその実行体制やモニタリングのあり方の整備であろう。

後者の知床エコツーリズム戦略の策定については、十分に機能する状況にはなかった既存の半島先端部や中央部の利用適正化基本計画や「知床エコツーリズム推進計画」について、多様な関係者を包括する形で改めて見直す機会となり、知床のエコツーリズム展開の大方針として合意形成を図った点で大きく前進したものである。今後の課題は、個別の地域やテーマごとにアクションプランや実行体制を創り上げていくことである。

これら各種計画を推進する事業や実施体制についても、世界遺産登録以来、段階的に充実してきた。世界遺産以前においては、環境省・林野庁など国の機関による知床国立公園の保全管理に対する事業展開は限定的であり、多くの事柄が財政的にも厳しい地元自治体に任せられていた。地元斜里・羅臼両町はさまざまな創意工夫で知床国立公園の保全に取り組み、他の国立公園とは大きく異なる先進的な試行錯誤を行ってきたが、地域の限られた財政力、人的体制だけでは困難な課題や、国レベルの制度整備や法的担保なしには解決不能な限界も見えていた。しかし、世界自然遺産登録前後から始まった国費を投入したさまざまな事業の展開や、制度設計や課題解決に向けた調整への環境省・林野庁等の積極的関与によって、状況は大きく前進した。それらの延長線上の平成23年度の特筆すべき前進は、過剰利用とヒグマに関わる安全管理の問題が危機的な状況を迎えていた知床五湖への、自然公園法に基づく利用調整地区制度の導入とそれに関わる多様な事業展開である。

以下、知床世界自然遺産地域管理計画の主要項目ごとに、各種管理実行の平成23年度の結果などについてコメントする。

【陸上生態系及び自然景観】

エゾシカの個体数管理と植生の回復については、平成23年(2011年)には知床岬では大規模仕切り柵を用いたエゾシカの大量捕獲に成功した。また、半島中部の岩尾別などでは囲いワナやくくりワナ、あるいは、新たな手法としての「流し猟式シャープシューティング」が大きな成果を上げた。これら一部の地域では、エゾシカの密度を低下させることに成功の可能性が見えてきたし、知床岬では植生の回復傾向が見え始めている。しかし、半島全域でエゾシカの密度を低下させる目処はまだ付いていない。また、複数の機関・事業・研究者らによって設置された多数の植生モニタリング地点を整理し、長期的に機能するモニタリング体制に再構築することが今後の課題である。

ヒグマについては、初めて公的かつ広域的に構築された管理方針を如何に機能させ、改善していくかが今後の取り組みになろう。

その他の陸上の野生生物については、多様な生物種の現状の確認や長期的な保全、モニタリング体制が今だ十分ではなく、現在はエゾシカと植生の課題解決に集中している拡大改組された「エゾシカ・陸上生態系ワーキング」での検討をどのように展開していくかが今後の課題である。エゾシカやヒグマ、植物以外の野生生物について、シマフクロウ・オジロワシなどの稀少生物も含めて、情報共有を図り、総合的な保全体制構築を模索しなければならない。

外来種対策では、知床岬のアメリカオニアザミの駆除については一定の成果が見えてきているものの、広域的には対策の目処は付いていない。その他の牧草やセイヨウタンポポなど広く蔓延した植物種についてはまったく対策が未着手である。セイヨウオオマルハナバチやアライグマ、アメリカミンクなど課題となっている動物種については、継続的な対策が進められているものの成果は見えてきていない。セイヨウオオマルハナバチの駆除は行われているが、分布の広さと個体数に対して捕獲圧はまったく不足している上に、供給源になっている受粉用の飼育個体の使用制限がなければ成果は見込めない。アメリカミンクも既に広域的に定着していると推察される。アライグマでは今だ低密度とは推定されるが、着実に分布を広げつつあると思われる。これら2種については、実態把握も捕獲圧も十分ではない。

自然景観の保全については、遺産登録後にかえって増えている道路工作物の設置や法面工事が景観を大きく改変しつつあることが課題である。防災対象の保全に関する遺産登録地としての社会的な合意形成を中長期的に考えていく必要があろう。もう一つの課題は、世界遺産の海岸の膨大に堆積する海岸漂着ゴミである。現在継続されている人力による海岸清掃は、普及啓発的効果はあっても、海岸ゴミの解消には「焼け石に水」の感を免れない。ゴミのほとんどは漁業関係のものであり、漁業者と連携した取り組みや意識改革を中長期的に進める必要があろう。

【海域】

知床世界自然遺産地域多利用型統合的海域管理計画」は、既存の漁業管理制度と漁業者の自主的な取り組みを基本としており、同計画の実行成果や進捗状況は見えづらいのが実態と言える。平成23年(2011年)も繰り返された密漁などの違法操業が、漁業者の自主的管理による海洋生態系の保全と持続的な漁業の両立を、国際社会に対して認めさせた知床世界遺産への信頼を揺るがせることが懸念される。

【海域と陸域の相互作用】

改良することが適当と判断された河川工作物の改善と、その効果のモニタリングは着実に進んできている。河川工作物ワーキング発足当初にはしばしばみられた河川管理行政機関と知床世界自然遺産地域科学委員会の間の意思疎通の不備や齟齬は、平成23年(2011年)時点においてはほぼ解消され、改組された河川工作物APの助言は適切に行われ、関係行政機関も同APとの相談を密に行って、さまざまな改良工事や調査が進められるようになっている。

【自然の適正な利用】

知床におけるエコツーリズム展開の骨格の再構築のために「知床エコツーリズム戦略(案)」が策定されたことは大きな前進であり、今後、個別事案の解決や改善に向けての取り組みの進行が期待される。平成23年(2011年)のもう一つのトピックスは、我が国で2番目の「利用調整地区制度」が知床五湖においてスタートしたことである。知床ではどこでも当たり前といえるヒグマの存在を、初めて公に前提として、利用する人間側が安全確保のためのルールを学んで対処するという日本の公園制度では画期的な取り組みである。初年度はヒグマに関する安全確保においても、過剰利用の抑制においても、利用者の満足度の向上においても、ガイド事業者の役割の確立と事業展開についても、ほぼ満足できる成果であったと考える。

この制度導入と延長された高架木道によって、知床五湖を時間をかけて楽しむ人々が増えたが、それは喜ばしいことである一方、駐車場や知床五湖へ至る道路の渋滞が増加した。これに対して、駐車場拡張が議論されていることは残念なことである。知床国立公園では利用者の増加に応じて、施設や道路を拡張して対応するのではなく、知床らしい雰囲気をより大切にしていく方針が長年堅持されてきた。知床五湖の渋滞対策の従来からの方針はシャトルバスシステムへの転換である。そのための乗換拠点や滞留施設として、知床自然センターやその駐車場も整備されてきた。課題に対処する方向が間違っている。

シャトルバスシステムについては、既に導入済みのカムイワッカについても後退した。同地区における落石対策の大規模な法面工事のために、暫定的に続いていた年間70日間のシャトルバス運行(この期間外は工事のため通行止め)が、工事終了にともなって35日間へ半減し、この期間外はかつてのように自家用車の乗り入れが自由となった。自家用車が自由に入れば以前のように渋滞が発生することが懸念されたが、幸い渋滞はほとんどみられなかった。しかし、車がスムーズに走れば良いというものではない。土煙を上げて車が行き来する道路ではなく、静かにバスの車窓から風景を楽しむ知床らしさ、自家用車から降りてヒグマに近づく人を防ぐ仕組みとしても、シャトルバス運行の拡充が期待される。

羅臼湖地区では、遊歩道があっても入口が分からない、車を止めることもできないといった課題の打開策が合意され、遊歩道入口の変更や送迎車両駐車帯の整備などの方針が示されたことで、長年の矛盾が解決できるだろう。

知床岬先端部地区の利用は、依然として危機をはらんだままである。「利用の心得」として守るべきマナーが平成22年(2010年)に定められ、それを紹介する分かりやすいHPの本格運用が平成23年(2011年)から開始されたが、HPを見て十分学んで立ち入る人が大勢というわけではけっしてない。また、普及啓発施設としてのルサFHや世界遺産センター等に多くの人が立ち寄って、指導を受けて立ち入るという仕組みも存在しない。結果的に、多くの人々が、一般人にとって未知の生物であるヒグマが信じがたいほど高密度に生息する地域へ、一流のカヤッカーが世界有数の難しさと言う海や、急峻な崖が連続する海岸へと、予備知識不十分のまま立ち入っていく。平成23年度も間一髪の危険事例が複数発生した。この一般的なアウトドア活動の知識や技術では対処が難しい地域へ立ち入る人々のために、必ず事前に立ち寄ってもらい、必要かつ有益な情報を伝達する仕組みが欠かせない。「利用の心得」でお茶を濁すのではなく、遺産登録に先立つ「知床国立公園適正利用基本計画」の検討の段階において、環境省も提唱し、斜里・羅臼両町も賛同していた先端部地区の広域的な「利用調整地区制度」適用を初心に戻って再検討すべきである。

知床五湖地区においては、冬期のバックカントリーとしての利用を試みるとして、スキーやスノーシューで閉鎖中の道道知床公園線をガイドが引率して歩いて行くと言う試みが行われていたが、平成23年(2011年)冬期においては、工事中の知床五湖FHのために道路が除雪されたと言うことで、なぜか車で知床五湖まで送迎しての利用になってしまった。これはバックカントリー利用の試行とはもはやいえない。知床ならではの利用のあり方の検討という立場に戻すべく、再考すべきであろう。

【気候変動】

水温に敏感なオショロコマなどを対象に施行された林野庁の調査事業は、なかなか把握しづらい気候変動の知床への直接的影響を測る上で前進と言える。この後の継続性が課題と言えるだろう。

【情報共有と普及啓発】

HPに掲載する、パンフレットを作る、などだけで普及啓発を行ったと主張するだけでは対応できない状況もある。自然保護上重大な課題がある場合や一般的知識では対処不能の危険性が存在する場合などでは、確実に情報を伝える努力や制度設計が欠かせない。

先に述べた「利用調整地区制度」で法的担保を持って情報を伝える仕組み、あるいは、必ず立ち寄らせる動線作りによって、情報伝達の確度を高めなければならない場合が知床には存在する。シャトルバスシステムの拡充によって、多くの人が拠点施設でバスに乗り換え、そこに集中する動線を活用して情報提供を行う工夫もできるであろう。あるいは知床五湖FHのように、特定の地域の入口を施設で封鎖して、そこを通らざるを得ない動線を作ることも有効であろう。動線作りという観点において、一部しか立ち寄らない通過点に過ぎない場所に立地する世界遺産センターやルサFHの立地環境は不適切と言える。

【その他】

関係機関による巡視体制は、かつてより大きく充実したが、縦割りの中、互いの連携が十分ではないことが残念である。地域や役割を適切に分担して巡視のローテーションを組み、互いに情報共有すれば、現状よりさらに幅広い監視ネットワークを構築することができる。また、ルーチンの巡視体制の中で、共通の記録事項を定めて情報収集すれば、遺産地域内の自然環境や社会環境に関する強力なモニタリングシステムを構築することが可能である。

(山中委員)